現在、私たちが普段づかいしている「グレゴリオ暦」が導入される明治五年(一八七二年)まで、日本の公式なこよみとして採用されていた。グレゴリオ暦を「新暦」というのに対し、和暦は「旧暦」ともよばれる。最大の特長は、自然のリズムである月の満ち欠けにもとづいている点だ。
月は二十九・五日周期で満ち欠けを繰り返すが、和暦では朔(さく=新月)がおとずれるたびに新しい一か月を立ち上げる仕組みになっている。これによって、毎月ついたちは必ず朔、七日前後は上弦、十五日前後は望(ぼう/もち=満月)、二十三日前後は下弦という具合に、毎日の日付が月の満ち欠けとつねに連動。日にちがわかれば月の形が、月を見ればおおよその日にちがわかる。
グレゴリオ暦以前の日本人にとって「とき」とは、まさに地球や宇宙のリズム、移ろいゆく自然の周期そのものだった。人間もまた自然の一部であると考える日本的自然観を見てとれよう。
豊かな恵みを与えてくれる一方で、巨大な災いをもたらす自然の力に翻弄されながらも、共生してきた日本人ならではの、実に謙虚な態度である。これはグレゴリオ暦の根底にある西洋型自然観とは決定的に異なる。
グレゴリオ暦はそもそもキリスト教信仰のための宗教暦であるが、聖書によると人間は神から「すべての自然の支配者である」とお墨付きを与えられており、西洋文明は現実にそれを実行してきた。彼らにとって自然は、自分たちの都合に従わせるもの、搾取の対象だった。
グレゴリオ暦的価値観の底流に横たわる思考の、これが正体だ。日本人特有の「和」の精神とは真逆である。
縄文の昔から、人間の暮らしを自然や宇宙も含めたより大きな環に連なるものとして位置づけてきた日本人にとって、「和」はひとつの叡智だ。自然との調和。力を合わせて協力しあう和。争いをおさめる和。平和。温和。そして日本国自体をも意味する和。世界が畏怖する日本人の高潔な道徳観や倫理観の本質がここにある。
和暦の「わ」の字は、「和のくに」のわ。和暦は「和」という無二の精神性を世界で唯一持ち得た和の民が、自然や地球の息づかいと調和した、和の暮らしのなかで育んできたこよみである。