ちては欠け、空から姿を消しては再びまたあらわれるという循環を繰り返す月の姿に、かつての日本人は死と再生を見た。

 近ごろではあまり見かけなくなったが、日本には古来「若水(わかみず)」とか「若水迎え」とよばれる正月行事がある。元日の未明に井戸などから新年最初となる新しい水をくみあげ、その水を飲んだり、煮炊きに使用したりすることで無病息災や長寿、一年の無事を祈る習俗だ。

天橋(あまはし)も 
長くもがも
高山も 高くもがも
月夜見(つくよみ)
持てるをちみず
い取り来て
君に奉(まつ)りて
をち得てしかも
 『万葉集』十三巻三二四五

 右の和歌に詠みこまれている「をちみず」という語に注目したい。「をち」は若返るという意味の動詞「をつ」の活用形。「をちみず」とはまさに「若水」をさす。「月夜見」は月を擬人化した表現だ。

「天へと続く橋がもっと長くあってくれたら、高山ももっと高くあってくれたら、ツクヨミのもっている若水をとってきて、あなたを若返らせることができるのに」

 月には若返りの力をもった水が存在しているという、かつての日本人の月に対する再生信仰が、ここにはっきり見てとれよう。

 どうやら正月の「若水迎え」で井戸からくみ上げる「若水」とは月の水の象徴であり、これを飲むことで若返る、いわば再生を得ることができるという思考が、この習俗の根底にあるようだ。若水で「生」を新たにする、すなわち邪気を払い、まだ穢(けが)れていない真新しい「とき」を迎えようというのが、「若水」「若水迎え」の本質的な意味といえるだろう。しかもこれが万葉集に詠まれているという事実は、「若水」が相当に古い歴史をもつことをうかがわせる。

 寒い冬を終え、周囲の樹々や草花に新たな生命が芽吹き出す春。いまも昔も気持ちをワクワクさせる、希望に満ちた季節がはじまる時期に迎える新しい年の朔は、なるほど再生を寿(ことほ)ぐ日であったのだ。和暦で迎える正月は、だからこそめでたいのである。

 和暦の「わ」の字は、「若水」のわ。月の満ち欠けに死と再生を重ね合わせた原日本人の古層の記憶が、和暦のなかにはひそんでいる。和暦とは、私たちの内に眠る原日本人の遺伝子を再び呼び起こし、再生してくれるこよみなのだ。

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