は日本の食生活に欠くことができないばかりか、神社や一般家庭の神棚はもちろん、宮中で行われる神事においても神にささげられる供物となる、とても重要な存在。肉体的にも精神的にも、日本人の生命は米によってかたちづくられてきた。

 たわわに実った稲穂が風に揺れる田んぼの景色は、想像しただけで心地よい気分にひたれる、瑞穂(みずほ)の国、日本の原風景でもある。

 古事記や日本書紀が伝えるには、米は神代の昔、ヒエ、アワなどの穀物とともに神のからだから生成され、神の住む高天原(たかまがはら)の田んぼに植えられた。

 そして神々が地上に降り立った天孫降臨の際、その任についたアマツヒコヒコホノニニギが三種の神器とともにアマテラスから託され、地上にもたらされる。これが日本の稲作のはじまりだ。ニニギはアマテラスの孫にあたる神で、「ホノニニギ」とは「稲穂がにぎにぎしく、たわわに実る」様をあらわしている。

「一粒の米には七人の神様がいる」と昔からいうが、米とはまさしく日本の皇祖神からいただいた神聖な食べ物なのだ。天皇陛下も皇居内の水田で、種まきから田植え、稲刈りまで、毎年おんみずから行われている。

 稲作はいまも昔も年間をとおして行われる事業だから、こよみとも密接なかかわりがある。そもそも「稲」は「とし」とも読み、「年(とし)」の語源だ。一方、「年」という語には時間の単位以外に、穀物や稲の実りといった意味がある。

 一月から順に睦月、如月、弥生…と、和暦の各月はそれぞれ数字以外にも月名を示す別の呼称をもっているが、実は、これらの呼称にも春の種まきから秋の刈りとり、冬の収穫祭神事まで、日本の稲作文化が多く由来している。

 たとえば種苗を“植える月”で卯月(うづき)、早苗を植える皐月(さつき)、稲穂が実る“含み月”で文月(ふみづき)、収穫した新米で宮中祭祀の新嘗祭(にいなめさい)で供される酒を醸す醸成月(かみなんづき)で神無月(かんなづき)

 和暦がまさしく「瑞穂の国のこよみ」であることを物語っていよう。

 和暦の「わ」の字は「たわわ」のわ。高天原の神々の庭からもたらされた稲の穂は、以来、八百万の夜を経たいまも、それを生業にするひとびとによってずっと守られ豊かに実り、私たちのこころとからだの糧となる。和暦にはその感謝の物語が刻まれている。

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