立春は二十四節気のひとつで、こよみのうえでの春のはじまりの日。天文学的には太陽が黄経三一五度の点を通過した瞬間を含む日であり、グレゴリオ暦の毎年2月4日ごろにあたる。したがって和暦の元日はその前後、グレゴリオ暦の毎年だいたい1月終わりから2月前半となる。
「和暦は一か月もズレているのか」。グレゴリオ暦に慣れ親しんだ身には、こんなふうに思われがちだが、それはいささか的外れである。
そもそも一三〇〇年以上も日本で使われてきた和暦より、新参者のグレゴリオ暦のほうを中心に考えること自体が主客転倒であることにくわえ、グレゴリオ暦1月1日では冬の寒さが本格化する「寒の入り」さえ迎えておらず、「新春」「迎春」の時期としてはむしろグレゴリオ暦のほうこそ「ズレている」。
元来、日本人にとって正月は年間をとおして最も神聖な行事、歳神(としがみ)の来訪を待つ神迎え儀礼の日。歳神は和暦元日、すなわち春の兆しが見えはじめた朔に、門松などの正月飾りを依り代として各家庭を訪れ、新しい一年の豊穣と無病息災をもたらす。歳神をつつがなくお迎えすることではじめて日本の年は明くのだ(初詣も重要な神迎え儀礼のひとつ)。
ところが現代の私たちがなんの疑いもなく正月と信じているのはグレゴリオ暦1月1日で、日本古来の正月とは「一か月もズレている」。見当はずれの時期に門松を立てたところで、神は降りてこまい。
それにグレゴリオ暦の日付には前日の次の日を示す順送りの数字という以外になんの意味もなく、その日を年始とする根拠や必然性は存在しない。つまり本来行われるべき時期とはまるで無関係の、理(ことわり)なき正月を私たちは毎年迎えているわけだ。
一方で和暦には毎日に根拠があり、日付自体に多くの情報が含まれている。月日は自然界や宇宙の力学に裏付けられ、日々の暮らしは地球の呼吸と同期する。それこそが日本人の「とき」であった。
和暦の「わ」の字は、「理」のわ。和暦が写すのは自然の理そのものだ。人間もまた、その理のうちにあるという真実を日本人は太古より知っている。そうした日本本来の「とき」を、和暦は呼びもどしてくれる。