和暦1月15日
左義長(さぎちょう)/どんど焼き
◆無病息災を祈り左義長で焼いたモチを食べる
小正月に行われる火祭りで、多くは長い竹や木を立てて組んだ大きなやぐらを燃やし、各家庭が持ち寄った門松や注連飾り、書初め、年木(としぎ)を焼きます。
地方によって15日ではなく14日の夜や七日正月に行われることもありますが、正月飾りを燃やすという行事内容はおおむね共通しており、その火で焼いたモチやダンゴ、「繭玉(まゆだま。豊作を祈願して、若木の枝の先に丸めたモチやダンゴをつけたもの。年木、若木、繭玉とも小正月を参照)」を食べると、病気にならないといわれます。
また正月飾りを集めてくるのがこどもの役目だったり、この日のための仮小屋をつくって前の晩にこどもたちが「お籠(こも)り」するなど、こどもが祭りの中心になるケースも多く見られます。
◆三九郎(さんくろう)、さいと焼きとも
「左義長」(北陸・東海から近畿以西)、「どんど焼き」(「どんどん焼き」「とんど」「どんどろ焼き」「どんどや」といった変化形があり、近畿・中国・四国を中心にほぼ全国)のほか、「三九郎(さんくろう)」(長野県中信地方)、「さいと焼き」(「さいとばらい」ともいい、関東から中部)、「おんべ焼き」(長野県安曇・伊那や静岡県伊豆北部)のほか、七日正月に行われる「鬼火(おにび)」「鬼火たき」(九州西部から南部)、「ほっけんぎょう」(福岡)など、名称は地方によってかなり異なります。江戸では火災のおそれから早くに禁止されました。
◆古来の火祭りに平安時代の儀式が合体か
この火祭りの起源はよくわかっていないのですが、「左義長」という言葉は宮中で1月15日と18日に行われていた、「吉書(きっしょ)」を「三毬杖(さんぎっちょう)」で燃やす儀式がもとになっていると考えられています。
吉書とは平安〜室町時代、新年などの吉日に太政官が天皇に奏上した文書で、竹を三脚のように束ねて立てた三毬杖でこれを焼きました。勢いよく燃え上がると、牛飼いたちが「とうどや」とはやしたてたといいます。
この行事がのちに民間にも全国規模で広まっていったようですが、もともと各地で行われていたと思われる、より古神道的な火祭りと結びついていったのかもしれません。