もとは「稲(とし)」だった?
和暦の一~十二月の各月に、睦月(むつき)、如月(きさらぎ)、弥生(やよい)…といった別の名称があることはご存知のとおり。
和風月名というが、それぞれどういう経緯でその名称になったのか、起源ははっきりしておらず、後世の解釈による俗説も含め、由来には諸説ある。そんなか、とりわけ興味深いのが、稲作サイクルに起源を求める説だ。
なぜなら、米づくりは冬の農閑期の諸作業も含め、一年をとおしたサイクルで行われるからだ。
そもそも「とき」の長さをを示す「年(とし)」という語自体、時間の量や年齢のほかに、「穀物」や「稲」「稲の実り」といった意味をもっている。またかつては「稲」の字を「とし」と読んでおり、穀物や稲を収穫するまでの一連の農作業サイクルが転じて時間単位としての「年」に変化していったとも考えられる。
記紀神話によると、稲作は天孫降臨の際に高天原から地上にもたらされた。縄文時代、稲作はすでに行われており、弥生のころには本州全土に広がっている。世界で最も古くからある日本という国の長大な歴史は、つねに米づくりとともにあったといえる。
和風月名②では、稲作由来節を中心に各月名を見ていく。ただし、すべての和風月名の語源が稲作にあるとは必ずしもいえないことも付け加えておく。
ムツキ、キサラギ…以外にも
和風月名には多くの異名が
たとえば日本書紀では二月と書いて「キサラギ」の訓をあてたり、万葉集でも正月(一月)を「武都紀(むつき)」と万葉仮名で詠む(巻五 八一五)など、月名は一月から順にムツキ、キサラギ、ヤヨイ、ウヅキ、サツキ、ミナヅキ、フミヅキ、ハヅキ、ナガツキ、カンナヅキ、シモツキ、ヤヨイと呼称するのが、千年以上前から定着していたとみられる。
しかし各々の月名にはさらなる異称が多くあり、日本語ならではの豊かなことば文化には思わず舌を巻く。そのいくつかの例を和風月名③に掲載する。