和暦を知る

こよみは日読 (かよみ)

月を見て日をかぞえる日読

 暦という漢字はガンダレに「林」「日」と書くが、林は略字で、もとは「禾(のぎ)」をふたつ並べて書いた。禾は植物の穂が実って頭(こうべ)を垂れている様子を象形したもので、アワや稲など穂のなる穀物を意味する。

 ガンダレに禾禾で「厤」。厤には屋根の下に穂がひとつ、ふたつ…と、整然と並べられている様があらわされている。ならばこれを「日」と組み合わせた「暦」は、一日、二日…と、日をきれいに並べそろえて納めたもの、といった意味あいになるだろう。まさしく〈暦〉である。そしてこの「暦」に日本で訓読みとしてあてられたのが、大和言葉の「こよみ」だ。

 江戸後期の国学者、谷川士清(ことすが)が著わした『倭訓栞(和訓栞/わくんのしおり)』は、古語から雅語、方言、俗語にいたるまで膨大な数の言葉の意味を、出典とともに解説した日本最初の実証的な国語辞典であるが、これによれば「こよみ」の語源は「日読(かよみ)」。二日、三日をふつか、みっかと読むように、古語では「日」を「か」と読んだ。一方、「読む」のほうには「数える」の意味がある。まさに日を数えることこそが「こよみ」であると。

 日本書紀によると、大和朝廷がシナから公式に「暦」を取りよせたのは6世紀の欽明天皇の御代だが、それ以前の日本では月の運行にもとづいた、より純粋な自然暦または太陰暦が長く使われていたと考えられる。創世神話でアマテラス、スサノオとともにイザナギから生まれた「ツクヨミ(月読/月夜見)」は月の神であるとともに、月の満ち欠けを観測して「とき」を計測する行為そのものでもあろう。「日読」はさらに古くは「ツクヨミ」だったといえそうだ。ツクのツ音が発声時に無声化することで「クヨミ」→「カヨミ」となったのかもしれない。

 月を見て日を数える、いわば「こよむ」という行いこそが日本のこよみの源流だったことがうかがえる。国学者の本居宣長は『真暦考』のなかで、「年月日が来ては経てゆくのを数える」意の「来経数(けよみ)」がこよみの語源ととなえたが、「日読」説のほうが説得力もあり、しっくりくる。