和暦を知る

グレゴリオ暦

私たちが日常的に使っている
通常のカレンダー

 グレゴリオ暦とは、現代の私たちがふだん使っている、いわゆる新暦のの正式な名称だ。

 グレゴリオ暦は一五八二年にローマ教皇グレゴリウス十三世によって制定された。それまで欧州を中心としたキリスト教文化圏で広く採用されていたユリウス暦から改暦したものだ。和暦が月の運行にもとづいた太陰暦(正確には太陰太陽暦)なのに対し、こちらは太陽を基準にした太陽暦である。

キリスト教の最重要行事 復活祭を正しく行うため改暦

 現代の天文学によれば一年の長さは約三六五・二四二一九日だが、ユリウス暦では一年を三六五・二五日で計算。実際の太陽の運行とのあいだに年間〇・〇〇七八日ほどの誤差が生じていた。

 わずかの差とはいえ、ユリウス暦は紀元前四十五年から使われていたため、一六〇〇年後のグレゴリウス十三世のころには、こよみ上の春分と天文学的な春分が十日もズレることになってしまった。キリスト教における最も重要な儀式、復活祭(イースター)の日取りは毎年「春分後の最初の満月の次の日曜」。このままでは正確な時期に行えないばかりか、ズレはどんどん拡大していく一方だ。

 そこで教会のもとに天文学者や数学者が集められ、四年に一度だった閏年の入れ方を「四百年に九十七回」としたうえで日付を調整したこよみに改められる。これがグレゴリオ暦である。結果、こよみ上の一年の長さは三六五・二四二五日となり、天文学的な一年との誤差は約〇・〇〇〇三一日と大幅に縮まった。

植民地支配とともに
非キリスト教圏へも拡大

 十六世紀に制定されたグレゴリオ暦は十八世紀にはカトリックと対立していたプロテスタントの国々にも徐々に導入され、やがて非キリスト教圏へも植民地支配とともに広まっていった。日本では明治六年(一八七三年)、唐突に改暦が発表されて現在にいたる。事実上、世界標準暦となったグレゴリオ暦だが、いまもキリスト教信仰の宗教暦であることにかわりなく、非キリスト教圏にとっては侵略暦以外のなにものでもない。