月は完全に欠けて地上からまったく見えなくなる新月から徐々に満ちていき、約1週間で半月である上弦(じょうげん)に、さらに約1週間で完全に丸く満ちた満月となります。満月を過ぎると今度は逆に月は欠けていき、約1週間で逆側の半月である下弦(かげん)に、さらに約1週間で再び新月となります。
この満ち欠けひと巡りにかかる日数は平均約29.53日(29.530589日)。新月のことを「朔(さく)」、満月のことを「望(ぼう)」ともいうことから、満ち欠けひと巡り分を「朔望月(さくぼうげつ)」、新月・上弦・満月・下弦をひとまとめに「朔弦望(さくげんぼう)」、満ち欠けひと巡りにかかる日数を「朔望周期」といいます。そして新月の日を毎月ついたちとして、1朔望月をそのまま1ヶ月という単位にしたのが旧暦です。
そもそも月の満ち欠けというのは、太陽と月と地球の位置関係によって生じる現象です。月は地球の周囲を公転しているために、太陽-月-地球の並び方は刻々と変化していき、その変化が地上ではあたかも満ち欠けしているように見えるわけです。
右図で示した満ち欠けの様子は、あくまでも地上から見た月の姿ということになりますが、これを地球の北極側はるか上空からふかんした実際の太陽系の様子に置き換えてみると下図のようになります。月がどの位置にあるかによって、地球からの月の見え方が異なることを改めて把握できるでしょう。
ご覧のとおり新月と満月のとき、太陽、月、地球は一直線上に並んでいます。このとき太陽と地球の間に月があると、地球から見た月は太陽の光を背に受けた影の側しか見えません。だから朔となります。満月はその逆。一方、太陽と地球に対して90度の位置に月があるときが上弦、下弦となります。
また朔弦望はふだん空を見上げて楽しむ分には「だいたい」でいいと思いますが、天文学的には次のような定義があります。
新月は地球から見た月と太陽の視黄経の差が0度となる瞬間、満月は同じく180度、上弦・下弦は90度となる瞬間です。
「黄経」というのは、地球上の緯度経度と同じような座標を用いて天体の位置をあらわす指標のひとつで、天球に描かれる地球から見た太陽の通り道「黄道(こうどう/おうどう)」を基準にしたもの。視黄経と「視」がついているのは、地球の歳差運動による春分点の移動を考慮した、その時点でのリアルタイムな黄経という意味です。
旧暦手帳 tsukinokoyomi や、このページ左上の「本日の月読」欄では、各朔弦望を迎える日にはその時刻まで表示していますが、いずれも視黄経差がまさに上記のとおり0度、90度、180度キッカリとなる瞬間の時刻(日本時間)をさしています。ちなみにこれらの時刻は毎年、国立天文台が計算して官報に「暦要綱」として公式なデータを掲載しており、掲載した数値もすべてそちらにもとづいています。
いずれにしても満ち欠けとは、太陽と月と地球の位置関係そのものでもあるわけですから、毎日の日付と月の満ち欠けが一致している旧暦では、今日が何日かわかれば月の形がわかるとともに、太陽系における地球と月と太陽の位置関係までわかるということになります。
月を見上げるとき、その日の満ち欠けを天体の位置関係に置き換えてイメージしてみることは、とても意味のある行為だと思います。それは私たちの住む惑星地球を宇宙スケールの視点でとらえ直すことにほかならないのですから。これまで地上からの一人称の視点でしか見ていなかった世界を、客観的な位置から立体的に見直す。この星の未来を考えるとき、こうした広く深い視点による認識こそ重要なのではないでしょうか。