グレゴリオ暦/2013年3月25日 カテゴリー「こよみ , 宮中」
彼岸過ぎて
今年は春分がグレゴリオ暦(新暦)3月20日だったので、先週の土曜で春のお彼岸が終わりましたが、みなさんはどのように過ごしたでしょうか(お彼岸は春分あるいは秋分を中日として前後3日ずつを加えた7日間をさします)。関東以西ではちょうど桜が見ごろを迎えたこともあり、花見を楽しんだり、宴会で大騒ぎなんていう方も多かったことでしょう。
お彼岸には一般的に墓参りをしたり、仏壇にぼたもちを供えて先祖供養の法会を行ったりします。とても仏教的色彩の強い行事です。こうした法会が歴史上の記録として最初に登場したのは平安初期の大同元年(806年)のことで、桓武(かんむ)天皇の崩御に際してその20年前に亡くなった早良(さわら)親王(追尊名は崇道すどう天皇。「追尊」とは生前、帝位につくことのなかった親王に対して死後に送られる天皇の称号)の霊を供養するため、春と夏の仲月すなわち旧暦2月と8月に7日間ずつ読経が行われたとされます(旧暦では春分、秋分はそれぞれ2月と8月にあたります)。
ところが、お彼岸の法会というのは本来の仏教行事にはなかったらしく、どうやら日本独自に発展した概念のようなのです。こよみ的にみても、古代から重要視される冬至と夏至に比べ、春分、秋分には特別な意味はなく、くわえて上述した桓武崩御も旧暦3月17日であって、早良親王の法会が春分と秋分に行われることになった経緯はよくわかりません。
ただ、春分、秋分には太陽が真東から昇って真西に沈むことから、仏教の西方浄土信仰と結びつけられたとする説があり、これが最も有力な由縁とみられています。ちなみに「彼岸」という言葉は仏典の「波羅蜜多(はらみた)」を漢訳した「到彼岸」に由来しているといわれ、煩悩だらけの現世から解脱(げだつ)して涅槃(ねはん)へ到るという意味だそうです(『現代こよみ読み解き事典』岡田芳朗 阿久根末忠 編著/柏書房)。
おそらく祖霊を敬い祀る日本古来の伝統が前提としてもともとあったところに、仏教流入によって現代のようなお彼岸の概念になっていったのではないか。皇室文化を研究する所功は著書『天皇の「まつりごと」 象徴としての祭祀と公務』(所功 著/NHK出版 生活人新書)の中で、このように語っています。
お盆などと同様、縄文由来のアニミズム的民間信仰が仏教思想と合体して新しい意味を生み出していく、いかにも日本的なゴッタ煮と洗練がもたらした文化なのでしょう。
なお、お彼岸の中日には宮中をはじめ、全国の神社でも祭祀が行われています。「皇霊祭」と、これに続けて行われる「神殿祭」です。具体的な内容はシークレットなので不明ですが、前出『天皇の「まつりごと」』によると、他の宮中祭祀と同様、祖先や天神地祇(八百万の神)を敬って祀る儀式で、大祭と小祭にカテゴライズされた宮中祭祀のうち、大祭に位置づけられているそうです。
それにしても、お彼岸のあいだに病人や老人が入院したりすると、そのまま逝ってしまうなどとよくいいますよね。お彼岸を抜ければ、そのまま持ちこたえるとか。迷信といえばそれまでですが、経験上、私的に大変真実味がある”迷信”と化しているのですが、これもまた日本独自に発展し、定着した逝き方なのかもしれませんね。