レゴリオ暦(=新暦)2020年1月25日は和暦令和二年一月一日にあたります。

 ここに謹んで日本人が迎えるべき正しい新年のお慶びを申しあげます。

 わが国が一二〇〇年以上にわたり使い続けてきた和暦を公式に廃止し、「グレゴリオ暦」という忌まわしいこよみを採用してから実に一四七年が経ちます。一二〇〇年に比べれば少ないとはいえ、一四七年という年月は単純計算でおおむね五世代分にあたり、これだけの時間が経過してしまったことは由々しき事実というほかありません。いまや高齢者のなかにさえ和暦を知る者がいなくなってしまったわけですから。

 愚かなことに、現在の日本人にとって「こよみ」とはイコール「グレゴリオ暦」であるのです。

 グレゴリオ暦はキリスト教カトリックが宗教上の目的で造り上げたこよみですが、実質は帝国主義時代の白人が白人以外の住む地を支配し、現地のひとびとを殺害、レイプ、奴隷化して、繰り返し搾取、簒奪してきた歴史を刻む、むしろきわめて悪魔的な恥ずべき侵略暦です。

 くわえてグレゴリオ暦はその根底にある「とき」に対する概念が、われわれ日本人とは根本的に異なる点も見逃せません。

 月の満ち欠けをそのままトレースした和暦の構造を見ればわかるとおり、日本人にとって「とき」は循環する概念です。図で表すなら螺旋(らせん)構造といえ、永続性、永遠性を見てとることができます。日本人にとって日々はそうした永続性のなかに置かれているわけです。

 ところがグレゴリオ暦の「とき」は、終わりに向けて一方向にのみまっすぐ進む直線構造です。キリスト教では世界の終わり=終末(時間の終わり)にイエスが復活するとともに最後の審判が行われ、敬虔な信者には永遠の生命が与えられることになっており、時間はその瞬間をただひたすら待望する一本の矢印で表すことができます。永続性や永遠性はむしろイエスの復活を否定することになってしまい、したがって日々は単に一方通行で消費されていくだけの対象となるわけです。

 彼らがイベントなどで10、9、8、7・・・と集団で声を合わせて時間をコールしていく「カウントダウン」や、“世界の終わりまであと1分”などと勝手に決めつけて悦に入っている「終末時計」などの奇天烈な熱狂は、すべてその背景にこうした終末論に裏打ちされた価値観が根差していると考えれば理解できます。

 そのようなグレゴリオ暦を日本人がなんの疑いもなく使うのは、世界に誇る日本の文化や価値感に対する冒とくであると断言できます。

 令和二年和暦一月朔。目覚めよう、日本人。

 

記:グレゴリオ暦 2020年1月25日 / 区分:こよみ