• ●読み方● 和暦=旧暦/月の出入=東京で月の中心が地平線に重なる時刻/(二)=二十四節気/(雑)=雑節/(節)
    =節句/(年)=年中行事/G暦=グレゴリオ暦 (新暦)/データ出典…暦要綱・暦計算室(国立天文台)/※月満ち欠け図は目安です。免責事項
  • 88dからのお知らせ

  • 和暦の「わ」の字は、「わたる」のわ

     予定を立てたり、誰かと約束したり、なにかを契約したり。仕事をするにも遊ぶにも、こよみがないと、すべてがてんでバラバラで、社会は成立しないでしょう。

     こよみというものがつくられる以前には、日々満ち欠けを繰り返す月や周囲の自然環境の移ろいを、ひとびとは「こよみ」として活用していました。 wataru 事実、旧石器時代の遺物に、月の満ち欠けを数えていたと考えられる線の刻まれた像が出土しているほか、日本でもこよみの語源は「日読(かよみ)」「月読(つくよみ)」で、月を観察する行為そのものがこよみであったことがうかがえます。

     ひととひととが関わり合いながら生きていく場を社会とするなら、こよみは人類の歴史上、現在にいたるまで、社会の最も重要な基盤となるものでした。そしていまもなお私たちの暮らしはこよみで成り立っています。

     こよみとは時間を視覚化したものです。では時間とはなんでしょう。この世界、この宇宙に時間なるものは実在するのでしょうか。時計の針が進んだ距離を私たちは時間とよびますが、時間とは長さや大きさのように物理的な数量であらわすことのできるものなのでしょうか。

     また時計が示すように、時間は誰にとっても共通する一定の速さで、等しく「流れていく」ものなのでしょうか。ならば、どうして楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、退屈な時間はなかなか進まないのでしょうか。物理学は、高速で移動する乗り物のなかの時計は、静止している場所に置かれた時計よりも針の進み方が遅くなることを証明しています。時間は伸び縮みするのでしょうか。そもそも時間とは本当に「流れていく」「過ぎ去っていく」ものなのでしょうか。

     走行中の電車の窓から見る外の景色がどんどん後方へ流れていくように見えるのと同じで、ひょっとしたら時間が過ぎ去っていくのではなく、むしろ私たちのほうが進んでいるのかもしれません。時間とは、なんらかの広がりをもったひとつの場とは考えられないでしょうか。

     だとすれば私たちはいわば「ときの海」をわたる旅人。好きな未来へと進んでいく舟人です。ならば、こよみはMAPです。いま自分がどこにいて、どこへ向かっているかを確認するための。

     MAPであればより高精度で、より多くの情報を与えてくれるものほど、好ましいでしょう。ところが直線の上で毎日を消費していく構造のグレゴリオ暦は、実際のところ終わりを待つだけのこよみであり、くわえて今日という日にも意味をもたないため、自分の現在の居場所さえ確認できません。しかしこれまで見てきたとおり、宇宙に実在する理(ことわり)にもとづき、毎日に客観的な根拠をもつ和暦なら、「ときの海」をわたるためのMAPにまさにうってつけではないでしょうか。

       天(あめ)の海に 月の舟浮(う)け
       桂梶(かつらかじ) かけて漕ぐ見ゆ 月人荘子(つきひとおとこ)
                           (『万葉集』10巻2223)

     月を、その形から舟に見立てて詠んだ歌が万葉集には多く収録されていますが、これもそのひとつ。月に生えているといわれる桂の木を櫂(かい)にして、天の海をこぎだしていく若者の姿が描かれています。

     和暦の「わ」の字は、「わたる」のわ。

     和暦という月の舟に乗ることで、私たちは「ときの海」を自由にわたっていけます。そして「ときの海」は私たちが目指すべき、好きな未来へと続いているのです。

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