• ●読み方● 和暦=旧暦/月の出入=東京で月の中心が地平線に重なる時刻/(二)=二十四節気/(雑)=雑節/(節)
    =節句/(年)=年中行事/G暦=グレゴリオ暦 (新暦)/データ出典…暦要綱・暦計算室(国立天文台)/※月満ち欠け図は目安です。免責事項
  • カテゴリー

  • グレゴリオ暦/2016.02.26 UP  カテゴリー「特集/ツクヨミをさがして

    ツクヨミをさがして④ 
    ツクヨミのウケモチ殺しとハイヌウェレ

     これを裏付けるように、分断され破片となる部分をあらかじめ別々の粘土塊でつくったうえ、それらを木や竹などの芯をとおして接合し、その上から化粧粘土を貼って文様をつけて仕上げられた、最初から壊すことを意図してつくられた土偶片が、山梨県の釈迦堂遺跡群や東京八王子の神谷原遺跡、富山県婦負群の永山遺跡などで多数発見されています。前もって破片を分断しやすい状態でつくる製法は、縄文時代中期にはどうも常用されていたようなのです。

     まるでハイヌウェレ型神話を地で行くような話ではありませんか。土偶を女神とすれば、これを破壊するのはまさしく「女神の殺害」であり、土偶の破片は細かい断片に刻まれた「ハイヌウェレの死骸」です。『縄文の神話』が指摘するとおり、この時代に原始的な栽培がはじまり、作物が発生するそもそもの原理としてハイヌウェレ型神話が(伝来したのか、インドネシアと縄文の海洋民同士の往来などを通じて共有されていったのか)、ひとびとのあいだに広く浸透していったのかもしれません。

     さらに同じような地母神的女神の姿は縄文中期の土器にも表現されていると、吉田敦彦は指摘しています。このころの土器には、蒸し器として使われていたと考えられている、本体中央よりやや下の位置にくびれのある縦長の深鉢型のものがあり、この型には大きく開いた土器の口部分のふちに人間の顔を装飾としてほどこした例がしばしば見られ、「顔面把手付土器(がんめんとってつきどき)」と呼ばれています。顔がつけられると、本体の曲線的なくびれをもった形状からして、この土器はなるほど全体が女性のからだのようにも見えます。

     おそらく煮たり焼いたりが調理の主流だったと考えられる時代における「蒸し器」の出現は、現代の電子レンジほどのインパクトを当時のひとびとに与えたことでしょう。それが女性をかたどられているわけです。

     この蒸し器で調理された食物は、これを発明した縄文時代中期の人々にとっては、まさに他の何にもまさる美味であり、食物の主の女神から人間に惜しみなく与えられるもののうちでも、特に貴重な恵みと痛感されたと想像できる。その感謝の念を彼らは、身体から食物を出してくれる女神を表す形に蒸し器を作り、中でおいしく料理される食物を、その女神像の内部から、賜物として受け取ることで表明していたのではあるまいか。もしそうならこの土器にわれわれは、生きながら身体から人間のために、貴重な食物を恵みとして無限に排出し続ける、地母の表現を見ることができ、それは記紀神話でスサノヲのために鼻と口と尻から、「種々の味物」を取り出したオホゲツヒメや、ツクヨミのために口からご飯と山海の珍味を吐き出したウケモチの姿と、明らかに通じるところがある。

    (吉田敦彦 著『縄文の神話』P128〜129/青土社/1997)
    カテゴリー「 特集/ツクヨミをさがして 」の最新記事
    RSS RDF ATOM   

    このウェブサイトについて特定商取引に基づく表記プライボシーポリシーお問い合わせ

    Copyright © 2006-2020 88d All right reserved.