• ●読み方● 和暦=旧暦/月の出入=東京で月の中心が地平線に重なる時刻/(二)=二十四節気/(雑)=雑節/(節)
    =節句/(年)=年中行事/G暦=グレゴリオ暦 (新暦)/データ出典…暦要綱・暦計算室(国立天文台)/※月満ち欠け図は目安です。免責事項
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  • グレゴリオ暦/2016.02.26 UP  カテゴリー「特集/ツクヨミをさがして

    ツクヨミをさがして④ 
    ツクヨミのウケモチ殺しとハイヌウェレ

     だとすればやはり記紀の食物起源神話で女神を殺す役割がツクヨミだろうとスサノオだろうと、そのちがいに大した意味はなさそうです。この神話では人間が生きるために必要不可欠な食物というものが、そもそもどのようにこの世界にもたらされたのかを伝えること自体が重要なのですから。

     それにしてもこの食物起源神話、前出『縄文の神話』によると、日本に相当古くからあるらしく、その痕跡が縄文時代の土偶や土器に見られるといいます。

     土偶は縄文時代の早期からつくられていますが、このころはまだデザインが単純でサイズも10センチに満たない小型のものばかりでした。しかし縄文中期(いまから約5500年ほど前〜)になると土偶のデザインは一気に複雑化、多様化され、あきらかに丹精込めた入念なつくりになっており、30センチオーバーの巨大なものまで登場しています。縄文前期から土偶には乳房や女性器を強調したデザインが採用されていることから、土偶は最初期の段階から女性を表現した像だったようですが、中期以降にはお腹の膨らんだ妊娠を思わせる像や赤ちゃんを抱いている像もつくられ、単に女性像というよりは「母性」を表現した像があらわれ出しました。

     どうやらこのころから土偶には特別な意味や価値が与えられ、その存在意義や重要度は増したと思われるのですが、にもかかわらず出土するのは決まって、わざと壊したとしか考えられない破片ばかりで、それも各破片をそれぞれ敢えて離れた場所にもっていって埋めているようなのです。

     このことから藤森栄一をはじめ水野正好氏など何人かの考古学者は、土偶が作物を子として身体から生み出すと見なされた地母神であったと断定し、当時の人たちが土偶を壊すことで地母神を殺し、その死体から作物を生え出させようとする目的の祭儀を行ってきたと主張してきた。つまりこの説によれば、縄文時代の中期にすでにわが国でも、なんらかの形で粗放な作物栽培が開始され、〜中略〜 当時の人たちはすでに、彼らが栽培し食物にしていた作物の起源を、食物の主の地母神的女神が殺されて死体を分断されると、その破片からそれらが発生したという神話によって説明していたと考えられることになるわけである。

    (吉田敦彦 著『縄文の神話』P124/青土社/1997)
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