• ●読み方● 和暦=旧暦/月の出入=東京で月の中心が地平線に重なる時刻/(二)=二十四節気/(雑)=雑節/(節)
    =節句/(年)=年中行事/G暦=グレゴリオ暦 (新暦)/データ出典…暦要綱・暦計算室(国立天文台)/※月満ち欠け図は目安です。免責事項
  • カテゴリー

  • グレゴリオ暦/2013.08.07 UP  カテゴリー「特集/ツクヨミをさがして

    ツクヨミをさがして② 
    『古事記』『日本書紀』に隠された古代呪術 陰陽五行

     この二官八省からなる政府組織のなかで、ひとつポピュラーな例をあげるとすれば「陰陽寮(おんみょうりょう)」でしょうか。八省のなかのひとつ「中務省(なかつかさしょう)」に置かれた機関です。

     ここでは天文、占い、こよみの研究が専門に行われました。この陰陽寮に属して占術や呪術を行ったのが「陰陽師(おんみょうじ)」です。陰陽師の代表格といえば、平安時代に活躍した安倍清明(あべのせいめい)がつとに有名ですが、天武はその陰陽師を、国政をつかさどる公式な国家機関として日本に初めて置いた人物でもあったわけです。

     当時は遣隋使や遣唐使、大陸からの渡来人によって古代中国の最新文化は日本にどんどん流入してきていました。中国古来の宗教である道教もそのひとつ。道教は「道(タオ)」とよばれる陰と陽からなる二元論をもって宇宙の真理を説く中国の土着的な伝統宗教です。

     そこには、やはり中国の古い自然科学・哲学である「陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)」が含まれ、日本ではとりわけこの陰陽五行説が広まっていきます。ちなみに中国の古い占術である「易(えき)」や「風水」もまた道教の陰陽思想のうえに成り立っています。これらは現代の日本でもおなじみですね。

     道教や陰陽五行説は以前から日本にもたらされてはいましたが、660年に朝鮮半島の百済が滅亡して大量の百済人が日本にわたってきたことも重なり、天武の頃には一気に広く浸透したようです。

     陰陽五行にもとづいた占術には天武天皇自身かなり熱中していたもようで、『日本書紀』にはことあるごとに天武みずから占術や呪術を実践していたことが記録されています。天文や占術に凝った天武は、日本初の占星台(現在の天文台)まで造営しました。

     一方で天武は中国文化のみならず、日本に古くから伝わる土着の宗教観や祭祀を重んじ、政治のなかにも積極的に取り入れていきます。統治国家としてのアイデンティティを形成するうえで、この国に深く根を下ろした古い伝統を国家の中心軸に据えていくことは必然だったでしょう。

     そうしたなか、日本古来のアニミズムも「神道」として天武朝の時代に形づくられていきます。神道の根幹をなす『古事記』や『日本書紀』も、天武が行った大々的な「国造り」事業の一環として編纂されたわけです。そして、このとき日本中に散らばったさまざまな神話を集めてひとつにまとめていくロジックのひとつとして活用されたのが、やはり陰陽五行説でした。

     では陰陽五行説とは一体どんなものなのか。これについては、吉野裕子(よしのひろこ)という民俗学者が優れた研究を残していますので、ちょっと見てみます。吉野は宮中祭祀や日本の伝統的な祭り、民間に広まった奇祭とよばれるたぐいの習俗、原始信仰などを、陰陽五行を切り口に、それまでなかった新しい角度から解き明かしたことで知られています。

    カテゴリー「 特集/ツクヨミをさがして 」の最新記事
    RSS RDF ATOM   

    このウェブサイトについて特定商取引に基づく表記プライボシーポリシーお問い合わせ

    Copyright © 2006-2020 88d All right reserved.