• ●読み方● 和暦=旧暦/月の出入=東京で月の中心が地平線に重なる時刻/(二)=二十四節気/(雑)=雑節/(節)
    =節句/(年)=年中行事/G暦=グレゴリオ暦 (新暦)/データ出典…暦要綱・暦計算室(国立天文台)/※月満ち欠け図は目安です。免責事項
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  • グレゴリオ暦/2013.08.07 UP  カテゴリー「特集/ツクヨミをさがして

    ツクヨミをさがして② 
    『古事記』『日本書紀』に隠された古代呪術 陰陽五行

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     ツクヨミが描かれた記紀神話への理解を深めるために、ここではまず『古事記』『日本書紀』が成立した当時の時代背景を少し見てみることにしましょう。

     記紀が成立した天武朝は、朝廷による支配がある程度行き届いて国家が形を整えはじめたとき、律令国家としての一定のフォーマットが日本で最初に完成した時代でした。律令とは現代の刑法や民法、行政法に相当する法律のことで、これにもとづいて天皇を頂点とする中央集権国家がつくられていきます。

     律令国家を支えるためには、体系的にしっかり整備された法律が必要です。天武も当然、法整備に心血を注いでいきます。そして日本初の体系的な法典「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」がつくられることになります。

     飛鳥浄御原令が施行されたのは689年。天武の死後、その遺志を継いだ第41代持統(じとう)天皇の時代に入ってからのことでしたが、さらに次の帝、第42代文武(もんむ)天皇の世になると、飛鳥浄御原令のまだ不完全だった部分が整えられ、これを大幅にバージョンアップした本格的な法律体系「大宝律令(たいほうりつりょう)」が制定されます。701年のことでした。

     ちなみに持統は天武の皇后で、全125代中8人10代しか存在しない女性天皇のひとり。文武は持統の長男にあたります。また前述したとおり『古事記』の完成は712年、『日本書紀』は720年ですから、天武は記紀の最終的な成立も見ぬまま世を去ったということになります。

     律令制を推進していくために、天武は官僚制度づくりにも着手していきます。朝廷につかえていたものたちに試験や勤務評定などによって「位階(いかい)」という序列化された地位、身分を与え、それにもとづいて彼らを「官職(かんしょく)」とよばれる一定の職務につかせたのです。

     といっても、いまひとつピンときませんね。もう少しわかりやすくいうと、この頃、国を統治していたのは天皇を君主とする朝廷でしたが、天皇の下には祭祀を担当する「神祇官(じんぎかん)」、司法や行政を担当する「太政官(だじょうかん)」という役所が置かれ、さらにその下には行政を担当する8つの「省(しょう)」が置かれました。天皇を頂点にいただいた完全なピラミッド構造の政府をつくり、国を統治しようとしたわけです。八省それぞれには「職(しき)」「寮(りょう)」「司(つかさ)」という、行政の実務を担当する機関が設けられ、朝廷につかえる官僚たちはこれらに属し、自分の地位や身分に応じた職務を担当します。

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