• ●読み方● 和暦=旧暦/月の出入=東京で月の中心が地平線に重なる時刻/(二)=二十四節気/(雑)=雑節/(節)
    =節句/(年)=年中行事/G暦=グレゴリオ暦 (新暦)/データ出典…暦要綱・暦計算室(国立天文台)/※月満ち欠け図は目安です。免責事項
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  • グレゴリオ暦/2017.04.18 UP  カテゴリー「月の万葉歌

    【 月の万葉歌  朝鮮動乱 〜歌の向こうに見え隠れする不吉な符号〜 編】 
    熟田津(にきたつ)に 舟(ふな)乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな(巻1-8)


    伝承によると、斉明天皇はかつて舒明(じょめい)天皇(第34代)の皇后として伊予の温泉へ行幸されたことがあったが、今回、熟田津の石湯行宮(いわゆのかりみや)にお泊りになられた際、伊予の風物が当時のまま残っていることを懐かしく思われ、その悲しみの情を歌に詠まれた(※)。したがって、この歌は斉明天皇の御製(ぎょせい/おおみうた)である。
    ※斉明天皇は舒明天皇の崩御によって即位された天皇、すなわち夫君に先立たれた女性。そんな彼女にとって熟田津は思い出の地でもあった。


    斉明天皇の崩御、そして白村江の戦いへ
     斉明天皇はこのとき68歳。熟田津にしばらく滞在し、さらに西を目指すため潮を見ていました。この歌はそうしたなか、661年和暦1月23日、東の空に昇った下弦の月が高くなりはじめた午前2時ごろに詠まれたと考えられています。

     一行はやがていまの福岡に朝倉宮を造営して戦争に備えますが、宮が落雷で壊れたり、鬼火が出たり、病死者が続出するといった禍(わざわい)が続きます。朝倉宮建造に使った地元神社の御神木の祟(たた)りといわれ、ついには斉明天皇までもが崩御。661年和暦7月24日のことでした。

     政務を継いだ中大兄皇子は朝鮮半島の南西部、白村江(はくすきのえ/はくそんこう)に大軍を送り込み、百済の残存勢力とともに新羅+唐連合軍と戦いますが、663年、戦争は百済+日本連合軍の大敗北で終わります。

     白村江の戦いの本質は大東亜戦争と同じく、外国による侵略から国土を守るための自衛戦争であり、敗戦は最悪の結果ではありましたが、日本の国土防衛やこれからの国家のあり様を固めていくきっかけになりました。


    現在と符合する朝鮮動乱・「酉(とり)」年・天皇のご譲位
     この歌が詠まれ、白村江への軍隊派遣がはじまり、斉明天皇が崩御された661年は、今年2017年と同じ酉(とり)年です。

     正確には「辛酉(しんゆう/かのととり)」で、今年の干支「丁酉(ていゆう/ひのととり)」とは六十干支(ろくじっかんし)としては異なるのですが、これより約900年後、豊臣秀吉が同じく軍を朝鮮半島に送り込んだ二度目の侵攻「慶長の役」が行われた1597年の干支が、まさに「丁酉」でした。翌年に秀吉は死去しています。

     なんとも不吉な符号で、実に気味が悪い。

     この歌にまつわるもうひとつの符号が、天皇のご譲位です。

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