• ●読み方● 和暦=旧暦/月の出入=東京で月の中心が地平線に重なる時刻/(二)=二十四節気/(雑)=雑節/(節)
    =節句/(年)=年中行事/G暦=グレゴリオ暦 (新暦)/データ出典…暦要綱・暦計算室(国立天文台)/※月満ち欠け図は目安です。免責事項
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  • グレゴリオ暦/2017.04.18 UP  カテゴリー「月の万葉歌

    【 月の万葉歌  朝鮮動乱 〜歌の向こうに見え隠れする不吉な符号〜 編】 
    熟田津(にきたつ)に 舟(ふな)乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな(巻1-8)



    《ポップ語訳》
    ♪熟田津(にきたつ)で船出しようと月の出を待っていると、潮の流れもいよいよ出航にふさわしく、いい感じになってきました。今こそ漕ぎ出しましょうぞ!♪
    ※熟田津……現在の愛媛県は道後らへんにあった船着き場。


    古来、朝鮮とかかわるとロクなことにならない
     歴史上、日本が朝鮮半島とかかわって、イタい目に合わずに済んだことは一度もありません。そこはいつだって災厄をもたらす悪夢の地でしかなく、本来ならば絶縁して一切のかかわりを断ち切りたいというのが日本の本音ですが、現実問題、なかなかそういうわけにもいきません。なぜなら朝鮮半島は一方で、領土的野心をもった大陸側勢力からの圧力を緩衝する防波堤としての地政学的役割を、長い歴史の中で果たし続けてくれているからです。したがって、やまとの民の安寧のためには、いやがおうにも彼らと一定のかかわりを持たざるを得ず、まさに「業」というほかありません。

            熟田津(にきたつ)
            舟(ふな)乗りせむと
            月待てば
            潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
                      額田王(ぬかたのおおきみ)

     この歌、字面からはどことなくポジティブで勇ましい”追い風”感を受けますが、背景には実は7世紀の朝鮮半島有事というネガティブな現実があり、時代の風は日本にとってむしろ圧倒的に向かい風でした。


    歌は百済救援への旅の途中で詠まれた
     このころ、朝鮮半島では高句麗、百済、新羅による勢力争いが繰り広げられていましたが、660年、百済は新羅と唐の連合軍に攻め滅ぼされてしまいます。

     百済の残存勢力に救援を求められた日本は、唐の圧力が日本に及ぶ懸念もあったことから軍事介入を決意。同年和暦12月、女帝、斉明天皇(第37代)は半島に軍を派遣するため、みずから中大兄皇子や大海人皇子、額田王(ぬかたのおおきみ)らを引き連れ、飛鳥(奈良)の地を出発、筑紫(福岡)を目指します。

     そして661年和暦1月6日に大阪湾を出航した一行が、途中、立ち寄ったのが、歌の舞台である伊予(愛媛)の熟田津でした。同1月14日のこと。月はほとんど望で、瀬戸内の海には幾重にも折り重なる島なみが、月明かりに美しく映えていたでしょう。

     額田王は大海人皇子の妃ですが歌人としても知られ、天皇の歌の代筆などもしていたようです。この熟田津の歌についても天皇の命を受けて代作したもようで、当時の『万葉集』編者は次のように注釈をつけています。

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