• ●読み方● 和暦=旧暦/月の出入=東京で月の中心が地平線に重なる時刻/(二)=二十四節気/(雑)=雑節/(節)
    =節句/(年)=年中行事/G暦=グレゴリオ暦 (新暦)/データ出典…暦要綱・暦計算室(国立天文台)/※月満ち欠け図は目安です。免責事項
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  • グレゴリオ暦/2018.01.09 UP  カテゴリー「こよみ ,

    平成最後のふるいやぁは、改元の大御心(おおみこころ)を知って日本古来の和暦で過ごす。

     日本書記によると、わが国における歴史上最初の元号は「大化」です。これは西暦645年和暦6月12日の大化の改新翌日に孝徳天皇が即位された際に建てられた元号なのですが、続く「白雉(はくち)」(西暦650〜654年。これも孝徳天皇の御代)、次の「朱鳥(しゅちょう/あかみとり)」(西暦686年のみ。天武天皇の御代)ともども元号として実際に使用されていた証拠はなく、実在した元号ではないとする考え方が有力です。

     実在したとしてもカッコ内に記した年代からわかるとおり不連続で、孝徳天皇の崩御後も天武天皇の崩御後も改元どころか、元号がなにも定められていない期間があったことから、少なくとも定着した制度ではなかったことは確かでしょう。

     現在の平成に至るまで一切途切れずに連綿と使われ続けることになる元号の最初は、「大宝(たいほう)」(西暦701〜704年)になります。天武の次の次に即位された文武天皇(第42代)の御代に定められました。日本初の本格的な成文法として有名な大宝律令の大宝です。以後1300年間、南北朝時代に南朝と北朝でそれぞれ異なる元号が使われた期間もありますが、これらも含めると、実に242の元号が連続して使われてきたことになります(大化からだと245)。

     大日本帝国憲法以降、改元は天皇の崩御にともなって行われる一世一元の制度と定められました。しかし今上天皇陛下が第125代目ですから、文武からの約80代で240もの元号が使用されてきたことになり、改元はかつては一代の天皇のもとで複数回行われるのが常だったことがわかります。それは改元が国の安寧を求める呪術だったからにほかなりません。天皇の践祚(せんそ。前天皇の崩御や譲位によって新たな天皇がその位につくこと)のみならず、瑞祥(ずいしょう)が現れたり、逆に天災や飢饉、戦乱など不吉な事象が起こったりするたびに、凶を封じたり、吉を呼びこむために改元は行われてきました。

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