• ●読み方● 和暦=旧暦/月の出入=東京で月の中心が地平線に重なる時刻/(二)=二十四節気/(雑)=雑節/(節)
    =節句/(年)=年中行事/G暦=グレゴリオ暦 (新暦)/データ出典…暦要綱・暦計算室(国立天文台)/※月満ち欠け図は目安です。免責事項
  • 基本編 /目 次

  • うんちく編/目 次

  • 和暦を知る

    08. 和暦ヒストリー 〜日本最初のこよみから現在まで〜

    ◇真の和暦「大和暦(やまとれき)」こと貞享暦(じょうきょうれき)登場

     戦乱の世が終わって平和な江戸時代になると、日月食など実際の天文現象と宣明暦との差が議論されるようになり、貞享2年(1685年)、「貞享暦(じょうきょうれき)」に改暦されることになります。

     貞享暦を完成させたのは水戸光圀も学んだという天文・暦学者の渋川春海(しぶかわ しゅんかい)。貞享暦は、このころ中国を支配していた元の最新の太陰太陽暦「受持暦(じゅじれき)」をもとにしながら、みずから天文観測して得たデータや日本と元との経度のちがいも考慮してつくりあげた、真の意味での”和暦”といえるもので、渋川はこれを『大和暦(やまとれき)』と名付けました。


    ◇西洋天文学も導入した和暦の最終進化版、天保暦(てんぽうれき)

     18世紀に入ると、幕府は西洋天文学も導入したより精巧な改暦を求めるようになり、宝暦5年(1755年)には「宝暦暦(ほうりゃくれき)」へ、寛政10年(1798年)にはその不具合を修正した「寛政暦(かんせいれき)」へ、さらに幕末近い天保15年=弘化元年(1844年)には「天保暦(てんぽうれき)」へと改暦されます。

     天保暦には、当時のフランスの天文学者が著した最新の西洋天文学書『ラランデ暦書』から得た知見や、このころ国内でもつくられはじめていた天体望遠鏡、天体位置測定機器、天球儀などによる観測データも反映され、きわめて精度の高いこよみとなりました。

     一般に和暦あるいは旧暦といわれているのは、和暦の最終バージョンアップ版であり太陰太陽暦の完成版といえる、この天保暦です。天保暦は当時の日本で450万部も刷られ、世界にも類を見ないほど、ひとびとのあいだに広く普及したそうです。


    ◇明治に入ると和暦は廃止され現在のグレゴリオ暦に
    明治の改暦に乗じて福沢諭吉がグレゴリオ暦の解説書『改暦弁』を出版し、ひと儲けした話は有名です。当時のひとびとにとってグレゴリオ暦など「なんのことやら、さっぱり」だったわけですから、『改暦弁』はたちまちベストセラーに。本人が語ったところによると、その数、なんと10万部。話としてはだいぶ盛っているにしても、売れに売れたのは確かなようです。福沢は政府によるなんの説明もない突然の改暦に批判的ながらも、同書のなかで「太陰太陽暦を使うやつは無学者のバカ」とまで断言しており、その辛辣ぶりがちょっと面白いです。

     そして明治維新を経たのち、和暦は国策により正式に廃止されることになります。明治6年(1873年)より、和暦に代わって西洋のキリスト教暦である「グレゴリオ暦(現在でいうところの新暦)」へと改暦され、現在に至ります。

     グレゴリオ暦への改暦の理由はこちらにも書いたとおり、アジアへの侵略を強める西欧列強諸国に対抗するため、文化も含めて西洋化を急いだことと、財政上の問題によります。

     さて、それから約140年。いまでは和文化の長い伝統や質の高さが海外でも高く評価されるようになっています。そんななか、私たち日本人が和暦というものを改めて見直すことの重要性も問われているのではないでしょうか。日本の長い歴史はグレゴリオ暦ではなく、和暦のほうにこそ刻まれているのですから。



    参考文献/『現代こよみ読み解き事典』岡田芳郎・阿久根末忠編著(柏書房)/『国立天文台 天文情報センター 暦計算室』国立天文台編(C) NAOJ