• ●読み方● 和暦=旧暦/月の出入=東京で月の中心が地平線に重なる時刻/(二)=二十四節気/(雑)=雑節/(節)
    =節句/(年)=年中行事/G暦=グレゴリオ暦 (新暦)/データ出典…暦要綱・暦計算室(国立天文台)/※月満ち欠け図は目安です。免責事項
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    08. 和暦ヒストリー 〜日本最初のこよみから現在まで〜


    ◇唐より最新の儀鳳暦(ぎほうれき)を導入

     7世紀の終わり、持統天皇の代になると、元嘉暦に代わり新たに「儀鳳暦(ぎほうれき)」が導入されます(697年)。儀鳳暦は、このころの中国の支配者である唐で用いられていた最新の太陰太陽暦でした。

     大陸では前104年に漢の武帝(ぶてい。前漢の第7代皇帝)が「太初暦(たいしょれき)」を制定して以来、王朝が変わるたびに改暦が繰り返されていました。新しく、より正確なこよみを制定することこそが皇帝の最重要任務であり、権力者の証だったからです。もっとも改暦は必ずしも”改正”だったわけではなく、むしろ”改悪”というケースもしばしばあったようです。


    ◇800年も以上使われ続けた宣明暦(せんみょうれき)

     唐は7世紀前半から10世紀はじめまで中国大陸を広範囲にわたって支配した大帝国で、日本へは遣唐使などを通じて政治的、文化的な影響が大変多く伝えられています。

    このころの日本でこよみをつくるのは、現代の中央省庁にあたる中務省(なかつかさしょう)に設けられた陰陽寮(おんみょうりょう)の暦師たちの仕事でした。こよみには日付のほかに二十四節気や干支、曜日、天文現象、陰陽五行にもとづいた吉凶判断など、さまざまな暦注(れきちゅう。こよみにまつわる情報)が書き込まれており、「具注暦(ぐちゅうれき)」ともよばれます。当初はすべて漢字で記入されていましたが、平安後期になると、ひらがなやカタカナで書かれた「仮名暦(かなごよみ)」が登場し、こよみが民間に広まっていくことになります。

     唐王朝で儀鳳暦からモデルチェンジされた「大衍暦(だいえんれき)」も奈良時代に日本にもたらされ(764年)、つづく平安時代に入ると大衍暦からさらに数度の改暦を経て唐で使用されていた「宣明暦(せんみょうれき)」が日本で採用されます(862年)。

     この宣明暦は唐では70年ほどで改暦されているものの、日本では江戸時代のはじめに「貞享暦(じょうきょうれき)」が導入されるまで(1865年)、800年以上も使われることになります。これだけ長きにわたって使われた背景には、894年に菅原道真によって遣唐使が廃止されて以降、古代中国王朝との交流がなくなったことや、その後の日本で戦乱の世が長く続いたことなどがあげられます。