• ●読み方● 和暦=旧暦/月の出入=東京で月の中心が地平線に重なる時刻/(二)=二十四節気/(雑)=雑節/(節)
    =節句/(年)=年中行事/G暦=グレゴリオ暦 (新暦)/データ出典…暦要綱・暦計算室(国立天文台)/※月満ち欠け図は目安です。免責事項
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    08. 和暦ヒストリー 〜日本最初のこよみから現在まで〜


    こよみの公式な導入から明治の改暦までをふりかえる

    ◇原初的な自然暦から公式なこよみへ

     こよみが日本で最初に公式な形で使われるようになったのは推古天皇の時代、604年からと考えられています。古代中国(このころは南北朝時代)から百済(朝鮮半島の南西部にあった国)経由で輸入された「元嘉暦(げんかれき)」という太陰太陽暦です。

     もっと古い時代には、おそらくより原初的な”自然暦”が使われていたと考えられます。旧石器時代の人類に広くみられることですが、最初期のこよみは月の満ち欠けをかぞえて時間の経過をはかるものだったでしょう。やがて縄文時代後期に稲作がはじまるころには農耕の必要から、樹々の葉の色付きや降雨、降雪の時期など、周囲の自然環境の周期的な変化を観察することで季節の移ろいを把握し、経験値にもとづいた自然発生的な「こよみ」が出来上がっていったと考えられます。


    ◇当時の先進国、中国から輸入した元嘉暦(げんかれき)

     やがて日本が国家として整えられていく過程で、外交や都の造営などを推進していくうえで、より正確で汎用性の高いこよみが必要になってきます。そんななか、当時の先進国だった古代中国から輸入されたのが、天文観測と計算にもとづいて高度に洗練されたこよみ「元嘉暦」だったのです。

    古代中国では天文観測や数学が高度に発展し、太陰太陽暦は前18〜前11世紀の殷(いん)王朝の時代からあったことがわかっています。太陰太陽暦はその後、時代とともに進化し、月の満ち欠け周期と太陽の動きの周期(=季節が一巡する周期)の誤差を解消する閏(うるう)のシステムも考えだされます。殷につづく周(前11世紀〜前3世紀)の時代の終わりには、19年に7度の割合で閏月(うるうづき)を入れる方法が早くも採用されています。

     元嘉暦は実際には推古天皇より少し前の6世紀に日本に伝わっていましたが、日本国内で毎年のカレンダーとして内容を更新して出していくには、舶来の最新システムである元嘉暦の仕組みをまずは理解しなくてはなりません。

     そこで大陸から専門家を招き寄せ、帰化人たちを中心に日本側でもその理論を学習、修得。こうして推古12年1月朔日から、日本最初の公式なこよみが用いられるようになります。