• ●読み方● 和暦=旧暦/月の出入=東京で月の中心が地平線に重なる時刻/(二)=二十四節気/(雑)=雑節/(節)
    =節句/(年)=年中行事/G暦=グレゴリオ暦 (新暦)/データ出典…暦要綱・暦計算室(国立天文台)/※月満ち欠け図は目安です。免責事項
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    和暦8月1日
    八朔(はっさく)

    お世話になっているひとに贈り物をする農村由来の風習

    ◆早稲(わせ)の穂が実るころ、田の実を頼みにしているひとへ

     「八朔」とは文字どおり和暦8月の朔日=1日をさし、この日、お世話になっているひとに贈り物などを送る風習がありました。

     時期的にちょうど早稲(わせ。早熟の稲)の穂が実るころであることから(実際には稲の成長や収穫時期は地域や品種によっても異なりますが)、農村の予祝儀礼として「田の実」すなわち初穂を「田の実」=”頼(たの)み”にしている(=頼りにしている)恩人に送る習慣が古くからあり、これが初穂に限ることない贈り物となって、農村以外の社会にも広まっていったのが八朔の祝い(八朔節供とも)です。


    ◆もともとは豊穣を祈願する作の頼み儀礼

     八朔のころは台風シーズンでもあります。農村では強風で稲が倒されないよう神に祈る「風祭り」や、順調な穂出しや豊作を祈願する「作頼(さくだの)み」「田ほめ」といった”作の神頼み”儀礼が昔から行われていました。一日仕事を休んで、赤飯やモチ、団子を神棚に供えたり、集落のひとたちが神社にこもって風止め祈祷を行い、神とともに供え物を食したり。

     農業は集落のひとびとが互いに助け合って作業を行う相助制が基本でしたから、こうした神事、儀礼は一方で日本人の大好きな語呂合わせにより田の実=頼みという言霊となり、八朔の日に相互に贈り物を交わす習慣になっていったとみられます。

     これがやがて都市部にも浸透し、貴族や寺社、武家社会、町人のあいだでも目上のひとなど世話になっている相手に贈答品を送る習慣として、あらゆる層で流行するようになりました。


    ◆江戸時代では江戸城での公式行事化

     八朔に贈答品を送る習慣が農村以外の社会に広まっていったのは鎌倉時代以降ですが、現代のお中元やお歳暮同様あまりにも過熱しすぎたのでしょうか、一方で歓迎されない風も見られ、幕府によって禁止されたこともあるほどです。

    江戸時代、新吉原の遊女には八朔の日、白の小袖を着て客を迎えるならわしがありました。江戸城での八朔儀式にのぞむ諸侯や大奥、女中の正装が白帷子(しろかたびら)であったことから、その慣例が吉原にもイベントとして取り入れられたようで、「八朔白無垢(はっさくしろむく)」とよばれます。

     しかし徳川家康の江戸入城が天正18年8月1日だったことから、江戸時代には八朔が公式の祝日と定められ、江戸城で諸大名が進物とともに将軍に拝謁する儀式が正式行事としてとり行われるようになりました。将軍の権威を高め、国内の秩序を維持するのが目的でした。


    ◆八朔参宮(はっさくさんぐう)、八朔馬

     民間習俗を見てみると、「八朔参宮(はっさくさんぐう)」といって、八朔の日に稲や粟の初穂をもって伊勢神宮を参り、五穀豊穣を祈願するようなことも江戸時代の伊勢近郊では農民のあいだでよく行われていました。また瀬戸内方面ではこの日、男児の生まれた家などで米の粉でつくった馬の人形「八朔馬」を飾る風習もみられました。


    参考文献/『日本まつりと年中行事事典』倉林正次編 1983(桜楓社)/『年中行事大辞典』加藤友康・高杢利彦・長沢利明・山田邦明編 2009(吉川弘文館)/『歳時習俗語彙』柳田国男著 1939(民間伝承の会)