• ●読み方● 和暦=旧暦/月の出入=東京で月の中心が地平線に重なる時刻/(二)=二十四節気/(雑)=雑節/(節)
    =節句/(年)=年中行事/G暦=グレゴリオ暦 (新暦)/データ出典…暦要綱・暦計算室(国立天文台)/※月満ち欠け図は目安です。免責事項
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    グレゴリオ暦/2016年10月14日  カテゴリー「アート , 文学 , 音楽

    反アカデミズムのディランさん、アカデミズム最高権威を受賞ってキモくね?

    和暦9月14日

     ボブ・ディランがノーベル賞って、なんかキモくない?

     だってディランといえば、反アカデミズムの極北みたいな存在じゃないですか。その彼が文字通りアカデミズムの権化であるノーベル賞を贈られるわけですから、まるで反政府活動家が長年にわたるゲリラ活動を政府に表彰されているようなもので、まさしくミイラ取りがミイラ、まったくもって程度の低い悪ふざけにしか見えないんですけど。

     しかも詩人としてであって、音楽家として評価されたわけではありません。本人は嬉しいんですかね。喜んでいるとしたら実にガッカリ。

     大衆文化のなかでもボブ・ディランをはじめカウンターカルチャーは、その分母である「大衆」にさえも反旗を翻す態度にこそ、その存在意義があります。大衆は愚かにもいつだって「権威」というやつ(あるいは権威者としてふるまいたがる集団)に踊らされ、群がり、搾取し、搾取され、ディランはそうした構造に対して「最後には帰る家もなく、ぜんぶ失って、転がる石みたいに生きるって、おい、お前、どんな気分だい?」と皮肉たっぷりに歌いました。

     ノーベル文学賞はスウェーデンアカデミーなる結社の十数人の終身会員によって選考されるそうなのですが、理系の賞のように客観的な形でアウトプットされた結果を評価対象にしているわけでなく、選考過程は不明で、小池ゆり子じゃありませんが、ブラックボックスそのものです。あきらかに特定の意図、意思、思想が選考過程を支配している平和賞ともども(オバマの同賞受賞で世界はボロボロになりました。涙)、文系ノーベル賞は客観性をまったく欠いているといえますよね。ま、いろいろ利権があるんでしょう。

     そんな透明性のない、たいそうな賞を贈られて、ディランさん、おめでとう。あんた、それでいま、どんな気分だい?

    ↓そいうわけで下はボブ・ディランの「天国の扉」遠藤ミチロウ版です。リリックはサビ以外すべてミチロウの創作で原曲とぜんぜんちがいますが、ディランのオリジナル詩の行間を自動書記したような印象を僕は受けます。強烈です。

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