• ●読み方● 和暦=旧暦/月の出入=東京で月の中心が地平線に重なる時刻/(二)=二十四節気/(雑)=雑節/(節)
    =節句/(年)=年中行事/G暦=グレゴリオ暦 (新暦)/データ出典…暦要綱・暦計算室(国立天文台)/※月満ち欠け図は目安です。免責事項
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    グレゴリオ暦/2016年8月16日  カテゴリー「僕らの国づくり

    71回目の敗戦記念日と日本の国体

    和暦7月13日〜(気づいたら日付が変わって)7月14日

     「朕は帝国政府をして、米英支蘇(べいえいしそ)四国(しこく)に対し、其の共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり」。

     71年前のG暦8/15正午、昭和天皇の玉音放送により終戦の詔書(しょうしょ)が発せられ、大東亜戦争における日本の敗戦が国民に伝えられました。

     大東亜戦争の戦没者は310万人といわれ(支那事変含む)、そのうち日本国の名のもとに戦って散華した230万人以上の英霊が、靖国神社に祀られています。

     G暦8/15に靖国神社を参拝するのは僕の毎夏の恒例行事でしたが、ここ数年は仕事で行けていません。残念ではありますが、僕も食べていかなければならないので、仕方のないことです。

     一方で、いかなる理由があろうとも、義務として敗戦記念日には靖国神社を参拝しなくてはならないひとたちがいます。国です。

     具体的には少なくとも総理大臣および日本政府全閣僚がそれに該当します。彼らに「参拝しない」という選択肢は存在しませんし、存在してはなりません。なぜなら靖国に眠る英霊は国家の責任において生命を賭して戦い、死んでいった方々であり、それゆえ国家の側に属する者は国家の責任において国家の名のもとに、現在我々が享受するあらゆる事柄の礎となった、すべての英霊に対してこうべを垂れて鎮魂するとともに、魂の底から深い感謝をささげ、人生を賭した彼らの功績を称えなければならない絶対的必然性があるからです。

     これは政治でもなんでもなく、人間社会における最低限のマナーといえます。

     そんななか今年は稲田朋美防衛大臣につづき、安倍首相も公式参拝を見送りました。チャイナと韓国に「配慮」したというのでしょうか。

     僕たちがご先祖の墓参りをするときに、隣に住んでる頭のおかしなオヤジやババァが墓参に因縁をつけてくるから今年は行くのをやめましょう、なんてこと、ありえませんよね。そもそもみずからの祖先を称え感謝するための行いは、わが家以外の存在とはなんのかかわりもありません。すなわち稲田氏、安倍首相のそれが「配慮」であるとするならば、そんな配慮にはなんの意味もなければ、まったくなんの価値もないわけで、意味不明の挙動不審な行動にすぎません。

     僕は安倍政権を本質的に支持していますし、稲田さんなど、現自民党のなかで最も好きな政治家のひとりだったりしますが、正直、彼らの決定には腹が立って、腹が立って、腹が立って仕方ありません。なるほどたしかに政治はリアリズムです。理想を語る政治なんてペテン以外の何物でもありませんよ。

     だけどね、日本人というのは縄文の昔から、いまの自分はひとつ前の世代あってこその自分であり、前の世代はそのまたひとつ前の世代あっての存在であり……、といった具合に、連綿と続く人間のいとなみを認識した「とき」の連続性こそが人類の知恵であり知識の集積であることを知っており、だからこそ仏教が伝来するはるか昔から、日本人はことあるごとに祖先に感謝を捧げる「まつり」を行ってきたわけです。それこそが日本の「政(まつりごと)」の原初であるし、また建国以来2676年間、消滅することなく現在、未来へとつむがれる国の継続を可能にする精神的支柱、秩序の中心を貫く「心(しん)の御柱(みはしら)」なんです。そしてまたこれこそが日本を日本たらしめる唯一無二の存在理由なのですよ。

     したがって敗戦記念日に靖国神社を国が公式に参拝しないのは、国が日本人のアイデンティティを捨て去り、侮辱する行為にほかなりません。まさしく国賊的な背信行為です。その意味で、一部のメディアが丸川珠代オリンピック担当相と高市早苗総務相の靖国参拝を「わざわざ」ニュースにしている事実は完全に反日的な意図に基づいていると断定できるでしょう。なにか彼女たちがイケないことをしたとでもいうのでしょうか? 僕が確認したメディアは日本を攻撃することを社是とする朝日、NHKのほか、日経でしたが、いずれも報道姿勢が下賤そのものであるといわざるを得ません。

     さて、以上しつこく書いてきたとおり靖国神社への参拝は国の義務であるわけですが、本来、それを最もしなくてはならない天皇陛下による参拝が現在までに実現できていないのは残念至極。少なくとも僕は今上天皇の御代のうちに実現できることを願ってやみません。

     この話題になると必ずA級戦犯がどうのこうのといい始めるひとがいますが、東京裁判こと極東国際軍事裁判は戦勝国による一方的なロジックにもとづいた連合国、とりわけアメリカの政策による、敗者に対するいわばリンチ行為といえ、現在ではまったくの不法な法廷であったという認識が世界中で圧倒的多数を占めています。これは僕もまったくの同感であり、その意味でA級戦犯合祀問題自体が茶番といえます。

     また最近では昭和天皇がいわゆるA級戦犯とされたひとたちにネガティブな思いをお持ちになられていたといった、憶測にもとづいた主張もありますが、もし仮に昭和天皇ご自身が個人的にそのような感情をお持ちになっていたからといって、一体なんだというのでしょうか。天皇だって人間ですから裕仁さま個人としてはさまざまに思うところもあるでしょう。

     しかし重要なのは個人ではなく「天皇」としての存在、つまり現在のGHQ制作の日本国憲法で象徴と定義づけられるはるか以前、太古の昔、縄文や旧石器時代から、日本という国に脈々と流れ、積み重ねられてきた日本人のいとなみ、歴史、文化の継続すべてを意味する「国体」としての天皇という概念そのものなんです。そのなかには負の歴史も当然多く含まれておりましょうが、それも内包した、日本という属性に連なるあらゆるすべてを象徴した概念こそが天皇なのであり、天皇=国体とはそういう意味なのです。だからこそ、天皇が仮に個人的な感情をお持ちであったとしても、国体として英霊に対して感謝と祈りを捧げる絶対的義務があるといえるわけです。

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