• ●読み方● 和暦=旧暦/月の出入=東京で月の中心が地平線に重なる時刻/(二)=二十四節気/(雑)=雑節/(節)
    =節句/(年)=年中行事/G暦=グレゴリオ暦 (新暦)/データ出典…暦要綱・暦計算室(国立天文台)/※月満ち欠け図は目安です。免責事項
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    グレゴリオ暦/2015年11月24日  カテゴリー「アート

    京都にて琳派美術展4軒ハシゴでくったくた

     琳派のオリジネイターである本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)が洛北、鷹峯(たかがみね)に芸術村を開いてからちょうど400年、くわえて光悦やもうひとりのオリジネイター俵谷宗達(たわらや そうたつ)のエッセンスを 琳派京を彩る さらに大きく発展させ、のちに「琳派」と呼ばれるようになる表現の系統を作り上げた尾形光琳(おがた こうりん)の没後300年忌にあたる今年、これらを記念した美術展が各地で開かれました。

     日本美術、とりわけ琳派がたまらなく大好きな自分にとって、これはもう最高にテンションの上がる事態でして、琳派のとてつもなくクールな美意識、緻密かつ独自な超絶技巧、さらに現代と比べても「相当に前を行っている」というほかないブッ飛んだデザイン感覚は画集で見るだけでも十分に刺激的なのに、それをナマで体感しまくれる機会がこんなに次から次へとやってくるなんて最早、正気の沙汰ではないわけです。おかげで今年の僕は、ある種のゾーンに入りっぱなしの状態がずっと続いています。

     なかでも春に開催された「光琳ART 光琳と現代美術」(MOA美術館) 11 と初夏に行われた「燕子花(かきつばた)と紅白梅(こうはくばい) 光琳デザインの秘密」(根津美術館)は、光琳の超名作「燕子花図屏風(かきつばたず びょうぶ)」と「紅白梅図屏風(こうはくばいず びょうぶ)」が同時に展示されるという、まるで目の前にジーザスとブッダが仲良く連れたって降臨するようなトンデモナイ企画で、琳派ファンにはまさに垂涎の美術展でした。実際、自分でも気づかないうちに作品の前で涎をダラダラたらしていた気がします。完全に「ハイ」です。

     また夏以降には光琳の弟、尾形乾山(おがた けんざん)の陶芸作品が一堂に会した「乾山、見山!」(サントリー美術館)、そして俵谷宗達、酒井抱一(さかい ほういつ)、鈴木其一(すずき きいつ)から、小林古径(こばやし こけい)、竹内栖鳳(たけうち せいほう)といった近代日本画壇のゴッドまで揃い踏みだった「琳派と秋の彩り」(山種美術館)などを楽しんでは加速度的に増していく「ハイ」を高次元で維持しつつ、先日、ついに今回の”琳派祭り”の集大成といえる「琳派 京(みやこ)を彩る」(京都国立博物館)に行ってきたわけです。

     この美術展、琳派の地元、京都の国立博物館企画だけに、コンテンツの質量は圧倒的。錚々たる作品群が待ち受けており、想像以上に大充実の展覧会でした。

     余白を大胆に残したアシンメトリーなデザインで現代美術やグラフィックデザインに多大な影響をいまなお与え続ける宗達の大傑作「風神雷神図屏風」の実物を初めて見ることもできましたし、鶴の群れが飛び立って海を越え対岸に降り立つまでの様子をコマ送りの連続写真のごとく13メートルにわたって描いた下絵に、三十六歌仙の和歌がしたためられた光悦×宗達によるコラボ作品「鶴下絵三十六歌仙和歌巻(つるしたえ さんじゅうろっかせん わかかん)」のダイナミック過ぎる前衛的発想にも触れることができました。

     光悦の楽茶碗「雨雲」や「乙御前」にもかなりシビれましたね。光悦の手指の形まで想像できそうな独特のいびつな造形や、ヘラ跡を敢えて残すことで釉薬が描く偶然のまだら模様に求めた究極の美意識には、特有のダンディズムが見てとれます。

     順路のほぼオーラスで展示された鈴木其一「夏秋渓流図屏風(なつあきけいりゅうず びょうぶ)」はまったく初めて見る作品でしたが、たらしこみ技法で描かれた3D的リアルな質感の岩肌に対して、芝地や葉の緑や渓流の瑠璃色のベタ塗り部は現代のアニメをほうふつさせる2D的POPさを感じさせます。

     もっともこれは光琳の「燕子花図屏風」などにもいえることではあるのですが、其一の時代になると”近代”に近くなるため、使用される顔料の明度が上がっているようで、全体の色彩がより鮮明でシャープになっており、これがいっそうPOPな印象を与える役割を果たしているようです。

     そういえば、この「夏秋渓流図屏風」を前に「これなら俺でも描ける」と聞こえよがしに繰り返しては奥様と思われる連れの女性を赤面させていた、山田洋二映画に出てきそうな微笑ましいオッチャンの姿を目撃しましたが、こういう軽率な示威発言を我慢できずにしてしまうオッチャンって、きっと400年前にもいたんだろうな。「こんなんやったら、わてにも描けまっせ」なんて光琳に言ってそう。

     向かいの三十三間堂には目もくれず京都国立博物館を後にしてからは、 flyer410 平安神宮そばにある京都国立近代美術館で開催中の「琳派イメージ展」へ。近現代の芸術家たちによる琳派的系譜を見てとれる作品を集めた企画展です。神坂雪桂(かみさか せっか)や加山又三、グラフィックデザインの田中一光(たなか いっこう)といったお馴染みの琳派的作家はもとより、川端龍子(かわばた りゅうし)や池田満寿夫にも琳派へのオマージュを見てとれる作品があったというのは面白かったですね。

     思わず釘づけになったのは服飾デザイナー、コムデギャルソンの川久保玲と、ヨウジヤマモトの山本耀司の作品。ふたりとも90年代のコレクションで琳派的ドレスをデザインしていたようで、その実物が展示されていました。川久保玲の黒いドレスには太いブラシを一気に激しく動かしたような金のラインを背景に飛翔する鶴の絵が大胆に描かれています。金も鶴も完全に琳派モチーフ。あきらかに琳派を意識した作品といえます。一方の山本耀司の青いドレスには宙を舞う無数の桜の花びらが繊細に描かれ、季節の花モチーフや、花びらひとつひとつの計算しつくされた配置などは、なるほど琳派の小袖を思わせます。

     さて、規模にもよりますが、美術館でそれなりに楽しもうとすると、ひととおり見てまわるのに2〜2.5時間程度はどうしてもかかるため、見終わったころはかなり疲れ果て、美術館好きな僕でも一日に2軒まわること自体そう多いことではないのですが、欲張りな僕としてはせっかく京都に来たのだからと、この日はさらにふたつの美術展を巡りました。疲れている場合ではありません。

    flyer26_b  近代美術館のあとは一条戻橋近くにある楽美術館で開催の「光悦ふり」。楽茶碗のなかでも、本阿弥光悦の作風を取り入れた傑作を展示してあります。光悦作品のほか、歴代の吉左衛門や趣味で陶芸を極めてしまった川喜田半泥子(かわきた はんでいし)の逸品が見られました。ここでの僕の一番の目的は半泥子。”手びねりしっぱなし”、”焼きっぱなし”にさえ見える、彼の奔放過ぎる作品の実物を初めて目にすることができたのは嬉しかったですね。

     続いて最後に訪れたのが立命館大学前にある堂本印象(どうもと いんしょう)美術館「琳派のエッセンス」。琳派の図案を研究した神坂雪佳の図案集「百々世草(ももよぐさ)」の木版画と原画をメインに、現代美術における琳派的表現を展示しており、小規模ながら興味深い美術展でした。

     雪佳の描く図案はおおらかで、人物や動物も丸みを帯びてふくよか。ユーモラスでカワイイです。この手が嫌いなひとっていないんじゃないかな。

    omote-s  一方、お寺の障壁画(しょうへきが。ふすまや壁に描かれた絵)にアヴァンギャルドな抽象画を描いてしまう現代美術の画家、堂本印象の作品は正直、僕にはちょっとわかりづらく、本展で見た巨大なふすま絵もダイナミックに激しく走る黒の線とさまざまな色の面で構成された抽象画でしたが、琳派的装飾美以上に根源的な生命観や宇宙観が感じられ、見入ってしまいました。

     竹内栖鳳をはじめとする京都画壇の画家たちによる扇面画や漆皿下絵の図案も見ることができましたが、これは展示数も少なく”参考までに”といった感じでしたね。また、かるたの老舗大石天狗堂というところが復刻したという尾形光琳作の小倉百人一首全200枚を一気見できる展示が存外に印象深かったです。このかるたは販売してほしいですね、商品化して。豆本にしてもいいかも。

     ということで京都で開催されていた琳派の美術展を4つハシゴしたわけですが、こんな無茶が可能になったのは昼飯抜きにしたうえに堂本印象美術館がたまたまこの日、19時半までの開館だったため。で、これでよくわかったのは、たとえ朝イチから攻めたとしても、美術館巡りは普通は多くても3軒までが関の山ということと、たとえ夜間開館があったとしても4軒ハシゴなどという酔狂なことはもうしないほうがよいということ、できれば2軒で抑えるべきということ、ですかね。さすがにもぉくったくた。疲れた身体を引きずって新幹線最終で帰路につきました。

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