• ●読み方● 和暦=旧暦/月の出入=東京で月の中心が地平線に重なる時刻/(二)=二十四節気/(雑)=雑節/(節)
    =節句/(年)=年中行事/G暦=グレゴリオ暦 (新暦)/データ出典…暦要綱・暦計算室(国立天文台)/※月満ち欠け図は目安です。免責事項
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    グレゴリオ暦/2015年9月4日  カテゴリー「アート , ボヤッキー

    まだ続く佐野研二郎袋叩きにはいい加減ウンザリ

     今日まで、デザインや美術のあらゆる歴史は、すべてパクリ合いの歴史である。

     ということで冒頭、共産党宣言ふうの言い回しをパクってみました。あまりにもどうでもよすぎるため東京五輪エンブレム騒動などにはまったく興味がありませんでしたが、なんだか妙に不健全な臭いが騒動全体をそこはかとなく覆い尽くしている感を否めないため、美術が大好きなうえに自分もグラフィックデザインをやる者として書くことにしました。

     デザインや美術というのは歴史上、誰かが建てた建造物のうえにほかの誰かがさらに何かを付け足したり、引いたり、あるいは分解・再構成するといったことを繰り返して発展してきているようなもので、この世界においてはそもそも引用や模倣、サンプリングといった「パクリ行為」は大前提として存在しています。

     たとえば西洋美術はそれまで数百年もの長きにわたり、科学的技法(透視図法や空気遠近法など)にもとづいた表現の写実性ばかりが美術的価値を決定する絶対条件でしたが、19世紀後半、印象派の登場によって文字通り既成概念を全転覆するような革命的大変革がもたらされ、これが現代美術の多様性へとつながっていきました。

     この大変革のきっかけとなったのが、当時、海を渡って入ってきた日本の浮世絵です。ゴッホもゴーギャンもモネもルノワールも、印象派の画家たちはこぞって浮世絵の大胆な画面分割や構図、色彩感覚にぶっ飛ばされ、これをパクリまくりました。以前の西洋美術で絵づくりの鉄板原則だった黄金比や透視法の消失点などもぜんぶうっちゃって。ホイッスラーなんかは鳥居清長の構図をコピーした「名作」をいくつも残していますし、代表作「ノクターン」にいたっては歌川広重のモロパクだったりします。

     それよりさかのぼるルネサンス時代においてはシスティナ礼拝堂天井画を描いたミケランジェロが、同時期にヴァチカンの別の場所で作業していたラファエロの作品を自分の作品の盗用だと糾弾しています。どちらも盛期ルネサンスを代表する最重要作品ですが、ラファエロがミケランジェロ作品の要素を多く取り入れ吸収していたということは誰もが認める美術史上の規定事実であり、実際に作業中のラファエロがミケランジェロの作品をシスティナ礼拝堂までこっそりのぞき見に行っていたこともわかっています。

     現代の事例としては、モダニズム建築の超超超大御所、あのミース・ファン・デル・ローエ先生も、本人が教授を務めていたイリノイ工科大学の建築デザインにあたり、日本の桂離宮のコンポジションをまんまとパクりました。

     ほかにもルイ・ヴィトンのモノグラムが日本の家紋からパクったものであることは有名な話。またポップアートでは既製品のコピーや流用は表現の方法論のひとつとして普通に定着しています。ポップアート関連でいえばさらに、音楽史上に燦然と輝くSEX PISTOLSのアルバム Never Mind The Bollocksのあまりに有名なジャケットデザインは、日本のグラフィックデザイン界のレジェンド、原弘が1968年に手掛けた東京国立近代美術館「ダダ展」のポスターデザインの100%パクりです。

     ことほどさように美術やデザインにパクリやパクリ疑惑は常についてまわるものであり、あまつさえ「パクってなんぼ」的側面は美術表現発展の大きな原動力のひとつにもなっているといえるわけです。

     で、佐野研二郎さんです。最初に東京五輪エンブレムが発表されたときは、そのデザインにいかにもパッとしない、健康とかスポーツを想起させない地味な印象を僕は受けたので、どうしてこんなタバコのパッケージみたいなのがいいんだろう、ま、JOCのオッサンたちの美的センスなど所詮この程度なんだろう、といった感じで、関心などまるでありませんでした。そもそも歴代の五輪エンブレムなんぞ、これまでただのひとつも記憶に残っていません。僕には、その程度の超無関心事でした。

     しかしその後のパクリ疑惑騒動にはたまげましたね。佐野さんのデザインはたしかに誰が見ても盗用としかいいようのない、元ネタと酷似した仕事が多すぎるような気はします。通常、引用を行うなら引用元への愛情表現としてそれが敢えて(わかるひとには)わかるような形で使ったりするわけですが、それをあそこまで堂々とやっておきながら一方で全否定するなら、はじめからもうちょっとヒネリを加えてバレないようにしないとダメじゃん。

     ですが、そんな他人のパクリ案件など僕にはそもそもどうでもよろしいことで、それこそ「Never Mind The Bollocks 〜勝手にしやがれ」といった心持です。むしろ騒動の報道ぶりとネット上の騒ぎ方が、日々、僕のイラ立ちを加速させました。

     彼らはまずネットで画像検索して過去の佐野作品の粗探し。そしてネタ元となった写真を掲載しているブログオーナー本人さえ気づいていないような事例を見つけ出して、ご親切にそのオーナーに報告。で、そのオーナーの意向とは関係なく、「あいつはまた盗用だ」と騒いで拡散。同じことを報道機関がやってダメ押し。昨今、流行の典型的なネット袋叩きじゃないですか。佐野さん、自殺とかしないでね、って真剣に心配してますよ、僕は。

     それにしてもネット上で粗探しするひとたちの執念というか情熱というか、その粘着性には怖くて頭が下がります。いったいどれほど卑しい育ち方をすると、このような気持ちの悪い生き物に仕上がるのか、親にインタビューしてみたいですね。大変興味深いです。友達から聞いた話ですが、なかには出自まで調べ上げて「盗用は血の問題」などと、佐野真一が維新の橋下徹を批判したときと同じ差別ロジックで人格攻撃して盛り上がる精神的下賤までいるといいます。

     発信源はたいてい2ちゃんねるだったりします。ネット世界では匿名で自分の素性をまったく隠したまま、どんな嫌がらせも誹謗中傷も行えるわけですが、そうした行為は暗闇に潜み凶器で脅して女性を暴行するレイプ犯と完全に同じ行動様式で、存在そのものが「卑」です。生まれてきたこと自体が間違いであると断定してよいでしょう。存在が無益なだけでなく完全に害悪です。だけど繰り返しますが、今回の騒動には無関心を保っていたので、以上のようなことを思いつつも僕はこの件をずっと無視していました。

     しかし先日、エンブレムの使用中止が発表され、ようやく騒ぎも終わりかなと思っていたら、なんとまだ続いているじゃないですか!? 呆れかえります。スポーツ報知によると、エンブレム使用中止を受けてネットでは「勝利宣言」する輩も少なくなかったといいますが、佐野さんの新たなパクリ疑惑を探している心底卑しい人間はまだいるようで、それをまたぞろ卑しい新聞やニュースメディアが「佐野氏、○○にも盗用疑惑」などと嬉しそうに報道している。

     もういい加減にしろ。「勝った」っていってるんだから、それでもういいじゃん。ネットで自分は安全地帯にいながら誹謗中傷するぐらいしか生き甲斐のない下賤の負け犬クンたちが「勝った」って吠えてるんだから、少なくとも報道屋どもはこれでもう幕引きしろ。

     ついでに東京五輪つながりということで書きますが、現在行われている「野球、ソフトボールを五輪正式種目に」キャンペーンのテーマ曲、トライセラトップスの楽曲「Shout!」は、テイラー・スウィフトの超ヒットチューン「Shake It Off」のまるパクリにしか聴こえません。初めて耳にしたときはドラムパターン、リフ、曲調、BPMまでソックリ過ぎて、赤面してしまいましたが、2ちゃんねるのみなさーん、報道のみなさーん、どうなんですかー、これはー? 徹底糾弾、人格攻撃しなくていんですかー。

     それと本ウェブサイトでもワタクシの大好きな伝俵谷宗達作品からパクってる箇所がありますが、これは? わかるひとが見たら一発でわかるようにしてますけど。どうなんですかー、これはー。

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